見事、第一志望の新潟大学理学部に合格を果たした塾生が書いてくれました。
私は高校入学当初から、学校の授業や課題についていけなくなり、一年生の間の成績は学年最下層でした。どうしたらそこから脱することができるのか、しばらくは試行錯誤の日々が続きました。
そんな私が取り組んだことは、まず志望校合格までの細かな目標を設定すること。そして、それを達成するための計画を立て、必要な教材を用意し実施、過去問の分析をしながら自分の状況に合わせ計画を修正。私は受験本番まで、ひたすらこれを続けました。受験が近づくにつれて、周りの友達が焦ったり、不安を口にするようになったりして、教室が緊張感を増す空気となる中でも、自分のやるべきことが明確となっていることで、私は周りに流されることなく、冷静に淡々と試験対策を続けることができました。
私がこのような自学自習をできるようになったのは、中学生の時から、いずれそうできるようにと武井先生が指導し続けてくださったおかげです。集団授業が苦手だった私は、高校受験の際もこの塾の自由な学習スタイルに救われました。それから三年間この塾に通い、自分には確実な自学力が身についたと感じています。
高校部へ移行してからも、先生は私の好きなように勉強を進めさせてくださいました。しかし、決して放っておかれたわけではなく、必要なタイミングで、いつも助言をしてくれました。私のことを信じて任せてくださっていたことはとてもありがたかったです。しばらく塾を休むことがあってもそれを責めることはなく、勉強の進捗状況や、体調を気遣う連絡もよくしてくださいました。また、中学生の指導もある中で、私のペースに合わせて音読指導や英作文の添削を行ってくださいました。
武井先生の指導のもと、私は第一志望の大学へ合格することができました。私の受験生生活を支えて励ましたくださった武井先生、家族、そしてたくさんの仲間に心から感謝しています。
私は新潟大学に行きたいと思った理由は、入りたい研究室があったからです。大学では、様々なことに挑戦し、多くの経験を積みたいと思っていますが、進学した真の目的を見失わずに、まずは希望の研究室に入れるよう学業に励んでいきたいです。
中学生3年生の夏前に転塾してきた塾生。
その当時の志望校は本人は太東
保護者の方は本人の意向がもちろん第一ではあるが太田女子。
自分というものをもってはいましたが
それが足枷になってしまって、柔軟性に少し欠けていたところがありました。
志望校を太東にするか太女にするかはっきりとさせることができない日々は
勉強のほうももう一つな感じでしたが
太女に決めてからは不安を抱えながらも
勉強に向き合うことができ、太女に合格しました。
大学受験に向けては厳しい戦いになるだろうなというのが素直な感想でした。
案の定、高校の前半は停滞というのでしょうか
浮上することがなかなかできずにいました。
それが高2の後期から高3にかけて徐々に上昇し始めました。
得意科目を作れたというのも大きかったのでしょう。
さらに
しっかりと自分で考えて行動ができるようになっていき
その精度が高まって行ったのが大きかったと思います。
大学で学びたいことが明確にあり
それに向けて戦略的に勉強をして行けたことも大きかったと思います。
学校にも学校の周りの友人たちにも流されずに励めたことは
まさにサンカントサンクが掲げる
「自学」「自考」「自走」を地で行っているようでした。
まさか国立大学に合格するとは3年前は露ほどにも思いませんでした。
それも名門新潟大学ですから
彼女のあと伸び力には驚かされるばかりです。
とても誇りに思います。
これからがある意味本当の勉強になります。
好きな勉強を思い切りしてください。
そして
これだけは譲れないといった自分の核となる部分にこだわるのは
とても大切なことですが
それ以外の物事に対しては
常にフラットな気持ちでいられるといいと思います。
そうすることで様々なことに
より挑戦していけるのではないかと思います。
期待しています。